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野沢温泉で静養中

昨日から野沢温泉にきました。
もう雪はほとんどないですが、やっぱり寒いです。
山菜が出てくる季節。
2年ぶりの春の野沢。
2年前はまだ自分が精神的に弱いとかいうことも知らずに元気に暮らしていました。
父がこのペンションで居候していたこともあり、初めて親元を離れたのが2年前ここにきた時です。

その後、このペンションを後にしてからが大波乱の幕開けでした。
何も無かったときに戻りたい・・というわけでここにきたのではないのですが・・。


今回野沢にきた理由は、生活改善です。
ちゃんと働ける体力を作らないと・・生活のリズムを整えるためにやってきました。

それと・・・今日は父の一周忌なんです。

そう、父は1年前の今日の夜に亡くなりました。
そして1年前の今日私は入院しました。

父の死とは関係ありません。扁桃腺を取る手術をするために入院したのです。
そのため私は父の死を知りませんでした。
退院する一週間後まで。


自分の弱さを見つめなおす・・なんて言い方は良すぎるかもしれない。
ただ、自分が楽になりたいから父の一周忌に大阪にいたくないからやってきました。

叔母が、勝手にしきり離婚してない母を放り出し・・。
振り出しになんて戻れないから・・逃げてきました。

近くにいると私の気がもたないから・・。


私は、早く乗り越えたい。
父が亡くなって1年も経つというのに私はいまだに何一つ手につかむことが出来ていない。
忘れることが出来ないのなら、乗り越えるしかないわけで・・。
努力ってものを今までしたことがないからそのツケなのでしょうか??


裁判もなかなか進展するものではないし・・。
野沢という場所にきて、健康に少しでも近づきたい・・と思いました。


温泉につかってまったりしながら、足腰強くするために歩きます。
あまりの体力の落ちように昨日自分で驚きましたから・・。

これからどうするか考えるにもいい機会だと思っています。
心身ともに健康になりたいです。。

2007.04.10 15:07 | 最近のこと | トラックバック(0) | コメント(1) |

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居候生活☆

友人宅での居候生活がそうして始まりました。
今から1年少し前まで生活してた・・というかさせてもらってました。

一昨年の11月〜去年の3月くらいまでですね。
奈良の王寺に居ました。
なかなか交通の便はよいですねww
バイト先がその時は、難波・・日本橋でした。
メイド喫茶で働いていた頃です。
その頃から私の周りで変なことが起こり始めました・・
今まで私は喧嘩とか全くしたことがありませんでした><
兄弟もいないので、親との口喧嘩くらいでした・・・が・・

電車の中でバイトに行く途中で突然おじさんに突き飛ばされて、、喧嘩勃発・・私は人前で泣くことがそれまでなかった・・というかできなかった。それが親であっても・・・私のプライドが許さなかったんでしょうね(笑)

我慢強い子だったと思います。
母曰く、泣かそうと思ってるのに全く泣かない子供だったそうな・・。

なのに、それ以来・・というかその頃から変わり始めていました。
その日バイト先につくなりいきなりお客さんがいるにも関わらず泣いてしまったんです・・;
安心したみたいで泣きまくってかなり心配かけてしまいましたね・・

その後もおじさんに絡まれるのは後を絶ちませんでした。
今でもまだ断ち切れてはないと思います。

多分私自身がそういうマイナスの気でも引き付けているようですね。
丁度父親と同じくらいの年の人にばかり絡まれていますし・・父親を引きづり続けています・・。

奈良では、高校時代の友人と彼女のお母さん、そしてダックスフンドのピノコちゃんと暮らしていました。
一人暮らしの子の家に転がり込んだのでなく、普通の家庭に転がり込んだわけです・・これはよく驚かれたことなんですがね・・
その頃友人は、正社員として働いていましたし、お母さんも看護士さんとして大きな病院で働いてらっしゃいました。
なので、私独りでよく家でぼ〜〜っとしていたりしました。
朝起きる時間も違ったし、バイトが夜まである時は一人おそ〜〜くに帰ったり・・。
なかなか勝手な生活をしていたものです・・他人の家であるのに・・。
ある意味私は度胸があるというかなんというか・・・
こういうところは本当に父親に似ているな・・と思います。。

その家に行ってからは私は、結構落ち着いて生活できました。
彼女のお母さんとも色々話して色々整理するのによかったと思います。
本当に感謝しています。
彼女の家での生活がなければ今の私はないと思います。
本当に立ち直れないことになっていたと思います。

自分が病気だと認識できたのも彼女の家族のおかげです。
彼女の叔母さんや、お姉ちゃん、その子供達に私は助けられました。

その後、今現在進行中の問題にももっと押しつぶされていたと思います。
人の温かさを本当に感じさせてもらえた・・。



母は私が家を出たその1週間後くらいに、実家に戻りました。
父が丁度出張・・という珍しいものに行っている最中でした。
帰ってきたらまあも抜けの殻ってやつだったわけですね〜〜。

でも、母の優しいところ・・というか何故そこまでできるのかって思ったことが、寒くなるからと冬の準備を全てして家を出たことでしょうね。。私には絶対出来ない行為です・・・

母の精神もその頃本当に危険でしたから・・樹海に行きたいとか、死にたい・・ってことよく口走ってましたから。。母も鬱になるんじゃないかとヒヤヒヤでしたよ!!

まあなんとか安全に引越しできたんですがね・・。
ほ・・・・

私が、まだまともな父と会話したのは、この少し後のことです。
もっとちゃんと心に刻んでおけばよかったと後悔しました・・その内容がいくら喧嘩ごしの会話であったとしても・・。


後悔は先にたたず。

暗い海に投げ出され天地もわからずもがき続ける・・
それを見つめるのは誰??

憎みを抱いて死んでいこうか??
憎悪だけで生きていこうか??

まだ、これは始まったばかりの試練の序章なんだよ??

どこかからそう聴こえたのは気のせいだろうか??
どこに向かうか分からない暗い海を漂うことしかできずに・・・
嗚呼・・カミサマ??




*最近のこと*
胃カメラをやることになりました。
今日病院行ったら20日にやることに・・
ここ1ヶ月ほど胃腸がね;;
急性胃腸炎と言われていたのですが、治ることを知らないらしい私の胃腸炎・・・昨日救急車に実はお世話になったりしましたし・・
大きめの病院に行きました。。
もっと早く行くべきだったんでしょうがね・・・
しばらくニートです。。仕事できない・・・。

2007.03.14 17:46 | 精神的なこと | トラックバック(0) | コメント(0) |

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受け入れることは難しい・・

久々のブログになります。
最近、バイトにいそしんでいました・・。

以前の続きといきましょうか・・。
初めて心療内科を受診したときのことです。

私は、自分で気がついていませんでした。調子が悪いな・・とか思ってはいましたが、精神的なものだとは気がついていませんでした。

ただバイトに行きたくないだけ、ちょっと疲れているだけ・・って思ってました。父が家にいることも多くてお酒をずっと飲んでいる姿を見て嫌だったこともあります。
尊敬できる人では本当になかった。

家の近所にある心療内科に行きました。
母と一緒にです。
自転車で10分ほどのところにある病院ばっかり入っているビルの上の方にそこはありました。
ゆったりとした音楽が流れていて、新しく綺麗な病院。
受付の方も優しそうな方で、親切に説明してくれました。
最近の体調とか・・初診なんで書きました。

1番だったのですぐに呼ばれました。
私としては最近の体調の悪さだけ説明したらいいや〜〜って思ってたのですが、母は思わぬところから話し出したのです。

私が小さな頃からのこと・・父との関係、抜け落ちた私の記憶・・・
そう、私には記憶が抜け落ちている部分があります。
小学校6年の頃、おばあちゃんが痴呆症になった時の記憶がさっぱりないのです。

そのことや、本当に色々・・。
思ってもみなかったことばかり母が話してびっくりしました。

その途中で色々思い出して私は少し涙ぐんでしまいました。
大きな窓があってその向こうに信貴山が見えていました・・
少しぼやけたその景色を見ながら私は家から出ることを確信しつつありました。

その病院の先生は穏やかでゆったりした話し方の先生でした。
私としては結構はっきり言ってくれることを望んでいたので、少々残念でもありました。
その結果、天王寺にある今の病院に移ることになったのですが・・。

その先生は鬱だということは言ってくれませんでした。
ただ出来るならば父から離れた方がよい。
バイトもやめたほうがよい。
良い睡眠をとることが一番ということでした。

その病院には2、3回行って紹介状を書いてもらい病院を移りました。
そのときの紹介状を少し見たときにはじめて鬱という言葉をみて、ああ私は鬱だったんだ・・と思いました。

私にはあまりにも似つかわしくない病名・・。
私はガサツだし、結構ぼ〜〜っとしてる・・・。
今まで本で読んでいたのだと、神経質で几帳面な人がなる・・ということだったから、まっさか〜〜とか思ったんですがね・・病院の先生にはそうでもない・・と聞いてまあ驚きというかなんというか・・・。


父から離れることを本格的に考え出したとき、一人の友人宅に行くという案が出て・・・不安ではありましたが、お金がない以上、行くあてがない以上・・・お世話になることを決めました。
高校時代の友人です。
父との関係が悪くなってきたときからよく泊めてもらったりしていて本当にお世話になっていました。
11月に引越しが決まりました・・・。

すべてここから・・・この時点で、もう予想されていたことだったんでしょうね。

2007.01.29 21:58 | 精神的なこと | トラックバック(0) | コメント(0) |

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退院後からの・・・

7月の終わりにようやく退院できたのですが、実は不明熱が続いてました。もう熱があることに慣れてしまい、37.5くらいで普通になってましたが、自分自身ではやはり少々不安もありました。
でも、退院したからには働かないといけない・・
家でしばらく休んでいたかったのですが、父がいつまでもだらだらして・・とブツブツ言われるのが嫌だったんです。
その頃には母と私は家を出る計画をコソコソと企てていました。
私はもう限界を通り越していましたし、母も限界に限りなく近づいていました・・。
私たち二人ではお金もないので、母の実家に転がり込もうという話にまとまりつつありましたが、祖母と祖父は難色を示していました。
なので話はそこで、ストップしていましたが、私はバイトを探し某靴屋の販売員になることが決まり、まだあまり動くなという医師からの注意も聞かずに8月の頭から仕事を始めました。

しかし、体が思うように動かず、熱も下がることを知らずに体調は悪くなる一方でした。
朝が思うように起きれず、体が重くだるい、友人と会うことが楽しいことでなく、段々と億劫になっていました。もう何もかもが嫌になっていて、仕事にいけない日が増えました。
電車の中で気分が悪くなったり、降りてしんどくて倒れたり・・かなり駅長室にお世話になりました。

せっかく大きな病院にお世話になっていたということもあり、色んな科に足を運びましたがどこも悪くないというのが結果でした。
総合診療科でも調べてもらいましたがやはり悪いところがないということで、しばらくしたら治るでしょうと言われそれでおしまいでした。

私は1ヶ月という短い期間でバイトを辞めました。
休んでばかりで迷惑をかけていたし、丁度その店舗に配属された時同期で私より2,3歳上の方と一緒だったのですが、かなり比べられてそれがしんどかったんです。
私は色々なバイト経験がそれまでありました。それにパソコンもそれなりに使えます。だからでしょうか、その人よりできる。かめるさんとは仕事がやりやすい。頼りにしてるから・・辞めないでね。期待してるよ・・。

本当であればすごく嬉しい言葉でしたが、その時の私にはプレッシャーにしかなりませんでした。すごく怖かったのです。
父は販売という仕事に異を唱え続けていましたし、頑張らなきゃと思えば思うほど空回りしてしまい・・・潰れました。

私は一つこの体の不調の原因が何か・・というのを知っていました。
けれども、それは私にはとても受け入れがたいものだったのです。

昔から心理学が好きで色々分かりやすく書いている本を読んでいました。だから、この倦怠感、不明熱・・・それが何を意味するか分かっていましたが認めたくなかった・・・。

まさか・・・まさか私が精神的な病気になるなんて・・・鬱・・。
思い悩んでいた時友人にまで、それは鬱じゃないかと言われ、母にも同時期にそう言われ・・・病院に行こうといわれました。
私の中で信じたくないという気持ちが大きく・・病院に行くことを拒み続けましたが・・・身体は正直なものです・・・。

近くの心療内科にいくことを決めました・・・。

2007.01.14 18:35 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |

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今日は歯車の話をしよう。
崩壊した歯車のお話。
もう1年以上前のお話。


大きな歯車と中くらいの歯車、そして小さな歯車がそれぞれ一つずつ。
10年ほど前に古くなった歯車が、とりはずされた。
その頃から歪みはあったが、それほど大きな狂いは生じていなかった。
しかし、小さな歪みはやがて大きな亀裂を生み崩壊する元であるもとには変わりはない。

歯車は手入れされることなく動き続けた。
小さな歪みはこれまでにも多々あったが、中くらいの歯車のおかげでそれほど大きな狂いを生じることはなかった。
しかし、世は不景気。
世の波に逆らうことはできぬ。
世界という大きな大きな歯車に組み込まれてしまえばただのガラクタでしかなかった。
大きな歯車は動かなくなっていた・・動きが緩慢になり他の歯車に害をあたえるようになった。
どこにでもある、どこででも見れるごく普通の家庭だったはずなのに。

小さな歯車は大きな歯車からの圧力に耐えられなくなり、中くらいの歯車ももう限界まできていたときだった・・・。
大きな歯車は力という形で小さな歯車を壊そうとした。
小さな歯車は壊れてしまった・・。

中くらいの歯車は耐えることが出来なくなった・・。

時間にすればほんのわずかの時間で今まで積み上げられてきたものが崩壊してしまったのだ。

積み上げることは生半可なものではない。
膨大な時間が必要だ。

が、崩壊するのは容易い。
糸を切るようなもの。
紙を千切るようなもの。
絆なんて目に見えぬモノ・・信じなければナイのだ。


歯車はそれぞれ動く早さや大きさは違えど、それぞれのバランスが大切なのだ。
それをなくせば・・崩壊するしか道はないのだ。

私の家庭は本当に容易く崩れ去りました。
すべては夢であったのかと思える。
家庭というものは、家族というものはそんなに容易く潰れてしまうのかと悲観した。
一見幸せな家庭。
しかし潰れるのは簡単なのだ。
今、世の中で家庭内の会話が少ないとか、子供のことが分からない、親が嫌いだ・・いじめや暴力、殺人。
人との繋がりを見つめなおさなければ全て崩れ去るのではないかと思います。

専門学校出のたかがフリーターで、病気もちな私がいうのもどうかと思いますが・・・世界はどこへ向かっているんでしょうかね??

世界という歯車が軋み始めているのではないのでしょうか?
世界さえ簡単に崩壊するのでしょうか??

歯車はただ回り回り・・・・いつかは狂う・・・。
終焉というパレードへと向かって・・・。





2007.01.11 23:48 | 家庭 | トラックバック(0) | コメント(0) |

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